変わらない行政の危機管理体制

今朝の産経新聞(5月10日)12版に「梅雨期の放射能対策 服装対策」という記事があった。

放射能の影響を受け易いとされる子供だが、服装に注意しなくてはいけないのか。しかし、各地の教育委員会では梅雨を問題視していない。東京都教育委員会義務教育課は「確たる根拠なしに『危ない』というわけにはいかない。都内で計測されている放射線量の値は下がってきており、今は危険という段階ではない」とし、服装の指導は行う予定はない。産経新聞 5月10日 一部抜粋

この記事の内容としては、現在の放射線量であれば、関東地方では、特別な装備など必要はないというものだが、そのこと事態は問題ない。
私がこの記事を紹介したのは、引用部分で東京都の教育委員会の見解「確たる根拠なしに『危ない』というわけにはいかない」という部分である。

この考え方は、古くは足尾鉱毒事件、最近では水俣病イタイイタイ病食品添加物抗菌剤AF2問題、薬害エイズ問題、所沢ダイオキシン問題など多くの住民が犠牲になったり、差別にあったりする事件の根本原因である。

教育現場を支えるはずの教育委員会が、この有り様ではどうしようもない。

その物質の危険性が証明されないから、とりあえず使用を続ける、何の対策もしない。

その物質の安全性が証明されないから、とりあえず使用を中止する、防御など出来うる対策を講じる。

赤字は、日本の行政機関の姿勢であり、現在もその姿勢に変化はない。これでは、危険性が分かった時には多くの人が犠牲になり、苦しむ事になる。事実、過去に多くの人々を苦しめてきた。

青字は、欧米の行政機関の姿勢であり、その姿勢に変化はない。

このブログの5月6日で書いた「近代農業政策と原子力行政の類似性」で、安全とされていた農薬が、毎年数種類なくなるが、それは日本が決定したわけではなく、欧米で使用が禁止されたから、その真似をして禁止すると書いたが、その差は行政機関のスタンスによって正反対になることが分かる。

福島県内で子供を養育する方々に分かってもらいたいのは、過去の様々な事件でも今回の原発事故でも、国と行政機関は国民を最優先に守るという考えは眼中にないということである。

予防原則の立場であれば、欧米と同じ考え方となり、とりあえず危ないかどうか分からないけど、対策を講じましょうとなるはずだが、経済・企業優先になると、これぐらいの放射能は、危ないかどうかわからないから、放って置きましょうという、今の政府のスタンスになる。

情報はインターネットをはじめ、書籍などでもいくらでも手に入る。その中には、政府の言うように流言飛語の類の物も多く散見されるが、私から見れば政府の出す情報(20ミリシーベルト問題など)にも、国民をないがしろにする流言飛語がある。

政府・東電の発表を鵜呑みにして、自らを思考停止にすることなく、情報に対して少しうがった見方で、その裏側にあるものを見ようとすれば、その過程で様々なものが見え隠れし始める。その時、本当にこの国は信用できるのかを再度考え直すべきではないのか。