失敗学の視点から

文部科学省は昨日になって、大熊町で一時124マイクロシーベルト/時であったことを公表した。文部科学省は、政府から口止めされていたために発表が遅れたとしているが、政府はこの事に関して、政府と文部科学省の間で齟齬があったようだと他人事のように言い訳をしている。
原子力安全・保安院は、一時帰宅者の累計被曝線量の目安として、1000マイクロシーベルト(1ミリシーベルト)を超えないように考え、往復時間も含む5時間の一時帰宅は妥当だとしているが、すでに20km圏内の住民は累計で相当量被曝していると考えられるが、大丈夫なのだろうか。

一昨日・昨日と産経新聞に、失敗学会理事長の畑村洋太郎氏のインタビューが掲載されていた。原発事故の影響で避難して、子育てをしている方々に読んでもらいたい。

■企業文化が生んだ組織災害

 −−想定外を失敗学の視点から捉えるとどうなりますか

 畑村 (繰り返すけど)起こると困ることは考えようとしない。(考えないから)それが想定外になる。

 −−そうすると、災害対策における重要なことは

 畑村 (1)自分の目で見る(2)自分で考える(3)自分で決める(4)自分で行動する。この4つが重要で、第三者が決めたことに従って失敗すると、「自分は悪くない」と言い訳をする。

 −−それを東日本大震災の大津波のケースに当てはめると

 畑村 三陸海岸では小学校で津波に対する教育や訓練を日ごろから実施していた。しかし、あらかじめ町や村が決めた避難所に逃げたのに津波にのみ込まれてしまった惨事がある一方で、決められた避難所よりもっと高い場所に逃げないと危険だと自分たちで早く判断して逃げて助かった小学校もあった。

 −−自分たちで判断するか、判断しないかが明暗を分けたわけですね

 畑村 はい。人間は想定だけでは生きられない。現実を見て判断することが大切だ。産経新聞 4月21日 一部抜粋

公害や災害が起こったとき、最後に物事を決断しどのように対処するのかを決めるのは、自分である。国が方針を決めてくれてないと動けない。国や自治体が大丈夫だと言っているから、大丈夫だよ。と考えていると、今後必ず後悔することになる。
先日も書いたが、政府や官僚は「国民」よりも「国家」を優先させてしまう。権力を持つものが、被害者の視点に立って物事を決める事は、過去にも無いが未来にも無いだろう。